中島敦の『山月記』に描かれる李徴の転落人生は、私たちの日常に潜む危うさを映し出しています。
人が虎になるという寓話的な表現は、社会の中での孤立や自己喪失を象徴していると思えます。
私たちの心の中には、李徴のような「虎」の存在が潜んでおり、それが表に現れるかどうかは、
個々の生き方や社会のあり方によって決まるのかもしれません。
事件や事故が起こるたびに、その無慈悲さに心を痛めます。
漱石は『草枕』で「人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。」と述べています。
人が虎になるのを抑制するのが「人の世」であり、社会の役割なのかもしれません。
人でなしの国に成り果てないために、ただの人は考え、悩み、そして行動する。それが唯一の方法かもしれません。
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