阪神淡路大震災

ネットのない時代です。新聞、テレビしか情報源がありません。個人の安否確認などは、電話しかありません。

関西に住む友人を気にかけながらも日々の生活に追われる毎日でした。

少しずつ友人たちの無事が確認できましたが、それでも連絡のつかない友人もいました。

 

震災後少し落ち着いてから大阪に住む友人を訪ねました。

駅構内は、ポリタンク、バケツを持つ方々もみられ日常と非日常が入り混じっていました。